「ムツゴロウ」の愛称で親しまれた作家の畑正憲(はた・まさのり)さんが4月5日に心筋梗塞でお亡くなりになりました。
享年87。
「ムツゴロウ動物王国」のブログを見てみると…
畑正憲の孫、長女の風花です。
報道にもありました通り、昨日祖父の畑正憲が夕方頃、自宅にて心筋梗塞により亡くなりました。
家族に見守られての旅立ちでした。
本当に今にも「どっきりでしたー!」と起き上がりそうなぐらい安らかな表情です。犬や猫たちが「遊んでよー」と寄り添っております。
ご家族に見守られて旅立たれたれたようです。
「犬や猫が寄り添っている」という文面を読んで涙が出ました。
何かのコラムで読んだことがあるのですが、犬には「死」という概念がないそうです。
ですから、ムツゴロウさんといつものように「遊ぼうよ~」と愛犬や愛猫が寄り添っていたんではないかな…と思います。
ムツゴロウさんはご家族だけでなく、日本中の人々からも愛されてきました。
「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」の平均視聴率は20%と超人気番組に。
私もこの番組をかかさずに観るほど大好きでした。
特に印象的だったのは、ライオンの頭を撫でたり、ワニの口に頭を入れていたこと。
動物に食べられてしまうのではないかと子供心ながらにヒヤヒヤしていましたが、ムツゴロウさんは笑顔で観ている人の心を温かくしてくれました。
動物と接する時の優しい目とあの笑顔が忘れられません。
そんな、誰からも愛されているムツゴロウさんですが、波乱万丈とも言える人生でした。
そこで今回は、ムツゴロウさんの経歴や麻雀の天才、借金完済までの壮絶な人生をお伝えしていきます。
目次
畑正憲(ムツゴロウ)さんの経歴
名前:畑 正憲(はた まさのり)
愛称:ムツゴロウ
生年月日:1935年4月17日
年齢:87歳没
職業:作家・エッセイスト・動物研究科・プロ雀士・ナチュラリスト・プロ雀士
代表作:『ゼロの怪物ヌル』
『天然記念物の動物たちシリーズ』
『ムツゴロウシリーズ』
主な受賞歴:日本エッセイスト・クラブ賞・菊池寛賞
こちらが若い頃のムツゴロウさんです▼
イケメンですね。
若い頃のムツゴロウさん🐎 pic.twitter.com/YrfRCq3iPS
— SEOコンサルタント しんや (@1dokiridoglove) July 7, 2020
ではさっそく、ムツゴロウさんの経歴について詳しくみていきましょう。
ムツゴロウさんの学歴がすごい!「1度見たものは忘れない」と語った
ムツゴロウさんは1935年4月17日、福岡県福岡市で生まれました。
5人兄弟の3男だったそうです。
医師だった父親の赴任をきっかけに、ムツゴロウさんは幼少期、満洲国で過ごします。
動物たちと戯れる少年時代を送っていたそうです。
日本に帰国後、大分県立日田高等学校で3年間過ごします。
そして、ムツゴロウさんは、「東京大学」理学部動物学科に現役で合格しました。
当時の東京大学理科Ⅱ類は、現在の東京大学理科Ⅲ類の内容を含んでいたそうです。
塾も予備校も通わずに現役合格されたすごい頭脳の持ち主だったんですね。
「一度度見たものは忘れない」と語るムツゴロウさん。
一度読んだ小説の内容を覚えてしまう天才頭脳でドイツ語で書かれた有機化学の原書を1晩で暗記してしまうほどだったとか。
医師の父は医学部医学科への進学を望んでいましたが、ムツゴロウさんは大学院理学系研究科修士課程に進学しアメーバの生理学的研究の道に進みました。
ところが、今度は文学に興味を持つようになります。
研究者の世界で生きる道と文学の世界で生きる道で悩み、突如研究室から姿を消してしまったそうです。
その後、ムツゴロウさんは学研→作家デビュー
その後ムツゴロウさんは学習研究社(現在は学研ホールディングス)の映像部門に就職されました。
しかし、社風に合わず退職します。
「ムツゴロウ」という名前は、ムツゴロウシリーズを出版する出版社がつけました。
学研を辞めた後、学研時代にお世話になっていた広告代理店に再就職しますが半年ほどで退職しています。
「われら動物みな兄弟」という作品をよその出版社から出したのが原因だともいわれています。
- 1967年に「われら動物みな兄弟」を刊行。作家デビュー
- 1968年に「われら動物みな兄弟」日本エッセイスト・クラブ賞を受賞
- 1969年には子供向けSF「ゼロの怪物ヌル」「天然記念物の動物たち」を刊行
- 1970年に「ムツゴロウの博物志」を刊行
おはようございます✨
『心を通わせるのに必要なものは、笑顔と強引さとある程度の自然体。』
『与えられたことで終わりにしないで、自分なりに追究する姿勢がツキを呼んだ。』
(動物研究家、エッセイスト、ナチュラリスト、小説家、プロ雀士のムツゴロウさんこと畑正憲さんの言葉) pic.twitter.com/ZwHN0KbW7k
— 吉村龍泉 (@IfMj14I37clBle8) April 6, 2023
ムツゴロウ動物王国を開園
1972年、浜中町に「ムツゴロウ動物王国」を開園し、1979年には標津郡中標津町にも牧場やログハウスの自宅「ムツ牧場」を開園しました。
この場所でムツゴロウさんは文筆活動を行っていました。
1980年には、「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」の放送が開始します。
この番組は、20年近く放送されたんだワン。
そして、2004年に東京あきる野市に「東京ムツゴロウ動物王国」を開園しました。
しかし、集客は伸びず2006年に破綻し、約3億円とも言われる巨額な借金を抱え、「東京ムツゴロウ動物王国」は2007年11月25日に閉園しました。
借金返済→ログハウスでの生活→心筋梗塞に
巨大な借金は執筆や講演活動の収入で8年かけて返済したそうです。
お亡くなりになるまでの生活拠点は40年前に移り住んだ北海道の中標津にある自然に囲まれたログハウスでした。
2017年10月にムツゴロウさんは心筋梗塞で入院。
入退院を繰り返し自宅療養を続けてきましたが、亡くなる1週間前から容態が急変。
そして、2023年4月5日に自宅で心筋梗塞を発症し、搬送先の病院でお亡くなりになりました。
ムツゴロウさんは麻雀の天才だった
ムツゴロウさん、実は麻雀界では伝説的な存在で、麻雀連盟十段で雀魔王と呼ばれた麻雀の天才だった。晩年は東京ムツゴロウ動物王国の負債など、大変な想いをされたと思う。天国でミスター麻雀小島武夫さんと麻雀三昧、大好きな動物に囲まれて幸せに暮らして下さい。動物愛を教えてくれてありがとう。 pic.twitter.com/th29fQdLlG
— 海乱鬼 (@nipponkairagi) April 6, 2023
ムツゴロウさんは麻雀の天才でもありました。
日本プロ麻雀連盟の最高位は九段ですがムツゴロウさんの麻雀の腕前が評され、「十段位戦」が作られました。
ムツゴロウさんはこの十段位戦に出場し3回優勝したんだワン。
ムツゴロウさんの動物に対する姿勢や考え方から、ツイッターではムツゴロウさんの死の悲しみの声がたくさんありました。
【悲報】「ムツゴロウさん」の愛称で知られた畑正憲さん 心筋梗塞のため死去
伝説の男である。
1:頭が良い・記憶力も良すぎ
2:麻雀プロ級
3:1億の借金を70歳を超えて80歳で完済
4:胃全摘している
5:喫煙歴60年
6:中指をライオンに食べられる
7:動物に関することで死を考えたことは1度もない pic.twitter.com/hRE3XURC1k— こたろー@看護師(ナース)とコスカメラ📸超会議両日 (@kotaro0712_com) April 6, 2023
ムツゴロウさんが亡くなりました。
訃報に接し、2013年にiZooで園内を案内させて頂いたこと、様々なお話を伺ったことが蘇り、悲しみが込み上げています。
動物に携わり、畑先生にいつかお目にかかりたいと願いが叶った至福の日でした。
心よりご冥福をお祈りいたします。 pic.twitter.com/g84WA7OKMY— 白輪剛史 (@shirawatsuyoshi) April 6, 2023
ムツゴロウさんお亡くなりになったんだ。。。
危ない時もいつも笑ってて怖くもあり憧れもありました。ご冥福をお祈りします pic.twitter.com/8Xq8V3WO7G— くまのプーさんの目 (@maitakewabataa) April 6, 2023
まとめ
いかがでしたか?
今回は、畑正憲(ムツゴロウ)さんの壮絶な人生についてご紹介しました。
ムツゴロウさんは動物を愛し、動物から愛されました。
動物と触れ合いながら執筆活動を行う。
また、麻雀の新たなタイトルまで獲得。
そして、巨額な借金返済。
まさに波乱万丈な人生ですよね。
ムツゴロウさんの「よ~し、よ~し」と動物の頭を撫でる時のあの笑顔は忘れません。
心よりご冥福をお祈りいたします。